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万朶会 繋げる読書会

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第六回 R.P.ファインマン 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』

 開催日時:2010/07/30 1409~1535 場所:Moulin de la Galette
参加者:Y,M,F 
文責:M



実は今回の読書会は07/24にする予定でしたが、まさかの全員が読み終わっていないというハプニングが起こり、全員が読み終わる頃には用事が入っており、黙々と本を読んでいたという第6回。そのため今回の読書会は6,5回目ということになります。

今回の指定図書が選ばれたのは、自伝文学が読みたかったということで、リアリティに重点を置きつつも、自分たちの生活に関わりのない物理の世界を覗いてみようという理由から。

それでは、今回の内容を。

――――――――――――――――――

まず、いきなりそれぞれが面白かった点。

Y「うーん、まるでセックスしてるみたいだな!」
下・p141 l1
と、ファインマンさんが妻を亡くして数ヶ月後に泣くシーン。
上・p223
ここを選んだのには、彼の願望やら経験からきている物があると思います。

M「どんなことがあっても絶対に紳士であってはいけません!」
上・p337 l11
絶対に日本では通用しない考え方を選択。

F「等しいトルクが……等しい加速度を……~」
上・p43 l16
と、「このおかげで、女というものは~」
下・p155 l11
同じは話を繰り返すことについての批判と女って可愛いねっていうことを云々。



とりあえず、このファインマンさんあまりにも凄すぎる。片手間に原爆作ったり、打楽器はできるし、絵も上手くて、金庫の鍵まで開けてしまう。

なんでそんなに彼は多才なのでしょうか。彼が本文で曰く、



“「できるけどやらないだこのことさ」といつも自分に言い聞かせているわけだが、これは「できない」と言うのを別の言葉で言っているだけのことなのだ。”



我々は知らず知らず自分に限界というものを設定しています。

ということで、当面の合い言葉は「限定解除」ということになりました。ははは


その後、下巻p184の「馬鹿」とはどういう人を言うのかという話へ。

馬鹿って言うのは非常に重たい言葉で、それをファインマンさんを理解して使っていました。出てきた意見をしては、頭良さそうなふりをしている人。その例としてあがっていたのがこんな所で書けるわけはないですね。あと権威に座している人。

逆に賢い人ってどんな人か、っていうのは、自分で問題解決できる、またはそれを向上することができる人と定義し、その方向性を間違っているのは愛すべき馬鹿なんだろうということでした。

自己評価と他人からの評価の差を聞いてみると、皆が他人からの評価のほうが高いそうです。
一番そのギャップが広かったのはF。

F「周りの評価がインフレ化している。まぁ、追いつくけどね」

と頼もしいことも言ってくれました。


それと関連してハッタリはするのか、自分は正直なのかという話に。
正直の対義語が嘘つきと仮定するとあなたは嘘つきますか、と問うてみた。

M「つきます。自分の利益を守るため。」
F「つきません。ついたハッタリは回収します。嘘は言わないけど、本当のことも言いません」
Y「私は善良な嘘つき。他人に迷惑がかからない程度だから」

嘘をついたり、ハッタリの回収の失敗には気をつけましょう。


なんか本について全然触れられてないけどいいのかな。いいよね

自分達で自伝なんか書いてみても面白いかもね。

ということで、次回は『魔の山』です。あと3日ですね。制限解除!
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第五回 萩原朔太郎 『猫町』

  開催日時:2010/07/14 1317~1531 場所:北大交流プラザ「エルムの森」内カフェ
参加者:Y,M,F 
文責:Y



今回の指定図書は、村上春樹著「1Q84」に引用されていた萩原朔太郎著「猫町」。岩波文庫版は表題作のほかにもう二編の短編小説、十三編の散文詩、二編の随筆が収録されています。詩人ならではの叙情豊かな文章のお陰で、前編100ページ少々の本でも中々に濃い議論ができたように感じます。

それでは、今回の内容を。

――――――――――――――――――

全編通して大体同じテーマが主張されてきたので、主題を絞るのはそこまで難しくありませんでした。

・主人公の思い込みと現実感の落差
・視点を変えることによって物事の様相が一変する

この二つだったかな。
薬物中毒の話が所々に語られていたけれど、ざっと調べたところ著者本人に薬物使用の経歴はなく、死因も肺炎による病死なので、想像で語ったか周りにモチーフになる人物がいたかしたのでしょうか。詩人である時点で、薬物がなくても一定程度の妄想状態には陥っていたやもしれませんが。

全体を通しては一話一話が思いのほか短く、文章量をもっと膨らませられたのではないか、という認識を共有しました。著者は小説が本業ではないので、少し多くを期待しすぎたのかもしれません。

話は何故他の動物でなく『猫』でなければならなかったのか、という話に移ります。

M「自分勝手な猫のイメージから、人間の代わりとして置換されたのでは」
Y「著者の個人志向・都会派の考えを表わすため、分断された個人のメタファを置こうとすると猫以外になかった」
F「猫は迷信や誤信が多く、神聖視される存在だったから、捉えどころのない不可思議な存在として猫を選んだ」

猫が妥当という点には皆同意していました。犬街とか想像してみたけど、何かねえ。詩的じゃないよね、犬って。

次は猫町で作中の主人公が猫町を見るきっかけになった迷子から、迷子になるってどういうことなのかという話題に。
碁盤の目で分かりやすい札幌でさえ迷子になるMは、Fに言わせると何かの才能があるそうです。何か創作活動ができるかもしれませんね。

閑話休題。今回はFが写真を撮ってくれたので、何枚かご紹介。

P7147784.jpg 今回の課題図書『猫町』。陽光の気持ち良いカフェでした。














P7147787.jpg 至極真面目に主題について考え込むY氏















P7147791.jpg 取材拒否するM氏















イケメンF氏の写真は次回撮ります。お楽しみに。


ということで、最後に個々人の好きな所。今回はここがとても濃かった。

Y「苦悩がないということは~」
p111 l3
この本の着地点なのかなと。「老年と人生」は今までの自身の人生を俯瞰した随筆だと思った。

M 「老いて生きるということは醜いことだ」
p104 l1 
と、「そんなものが何になる!そんなものが何になる!」
p71 l8
をチョイス。特に後者は自殺する前の芥川龍之介が言った言葉の補強としてニーチェの言葉を引いたもので、そこから「名声を得ても満たされない→どうやったら満足して死ねるのか?」という死生観を問う形に。

M「特にない。死んだ時はその時」
後に彼自身、この発言は内向的な破滅願望の表れやもしれぬと語っていました。ますます創作に向いている気が。
Y「自分の思想を表現できた時」
自分自身、ポオ類似の考えがあるのやもしれません。認知されたいのかな。
F「才能が枯渇したら」
才能が枯渇した時を見極める才能も必要になって終わらないよね、と自分で言っていました。確かに一理ある案。

生死についてもうひとつ、「二十五歳の姿で千年生きられるとしたら生きるか」という質問をしてみました。
Mは生きない、Yは生きる、Fは先程のと関連して「才能の底が見えず、生活に不自由しない限り」という条件付きで生きるという返答でした。
実はこの質問、twitter上で糸井重里が問うたことなのです。年齢については制限はありませんでしたが。
ちなみに彼は移ろいゆく世界を見続けるために生きたい、という回答でした。思考が内向きか外向きかが大きく作用する問いだったと思っています。

そしてFの好きな所は「この手に限るよ」一編まるごと。
p83-
モテる手の内を明かすと途端にテクニカルな問題になってしまうので絶対にしてはいけない、とのことでした。夢から覚める場面が滑稽で笑えて良かったな、確かに。


長くなってしまった。意外と話したんだなあ。


次回7/24は物理学者リチャード・P・ファインマンの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』です。自伝、というか正確には逸話集のようですが、読む前から楽しげでわくわくしています。

そのまた次はトマス・マンの『魔の山』です。物凄く重いので早め早めに読むことをお勧めします。日程未定。

それではまた次回。お楽しみに。

第四回 村上春樹 『ノルウェイの森』

 開催日時:2010/07/10 1343~1538 場所:D×M
参加者:Y,M,F 
文責:Y



今回の指定図書の著者は、日本現代文学の大きな牽引者ともいえる村上春樹。少し新しすぎたかとも思われつつ、慣れてきた我々には主題を探ろうとする意気は育まれていたようで、中々に面白い読書会になりました。気分転換には丁度良かったようです。

それでは、今回の内容を。

――――――――――――――――――

最初にこの本の主題を明らかにしようと思ったのですが、まだ中期の村上作品ということで文章に若干の雑さが見て取れます。
既に数作品が世に出され、それなりに売れ出していた頃本を書くということは、何か強く表現したいことがあったからでしょう。複線回収も完全でない中、著者は何を伝えたかったのでしょうか。

・抗うことのできない性欲
・複数の恋愛(と呼べるか定かでないが)の中での主人公の苦悩

の二つが大きく出ていた気がします。
前者については、

F「早くに結婚してしまって、性生活を抑制されちゃった著者のやりたい願望の表れかねえ」

という意見が。後者に関しては主人公以外の登場人物に迷いがない点との対比が指摘されました。主人公も十分タフなんですけどね。

注意しておきたいのは、彼の作品では年代も舞台も具体的かつ鮮明に描写されているにもかかわらず、物語自体にはほとんど現実性が感じられない、という点です。
登場人物に迷いがなく、言葉を濁さないのはアメリカ文学に受けた影響が多分にあると思われますが、ジャンルとしては『完璧なファンタジー』と形容しても良いのでは。揺れる文、残る謎、すべてを含めて。

話は村上春樹が何故複数作品で芥川賞を取れなかったのか、という点に。

文化史としての作品と芥川賞を考えるなら、一生考え抜いたテーマではなく、高々10年で考えたテーマに沿って書かれた村上作品が受賞しなかったのは妥当、という意見が出されました。
文壇の審査員が未だ村上春樹の特異性を嫌ったから、というのも考えられますが、それはそんなもんでしょう。文学作品の評価なんて根本的にいえば好き/嫌いで決まってしまうものです。審査員全員が客観的に作品を評価することなどできるはずがないのです。完全に客観的に選ばれた作品、というものも選ばれ得たらそれでつまらないのでしょうが。

あと何故あえて「ノルウェイの森」をタイトルにしたのかも聞いてた気がするんだけど、ぜんぜんメモ書き遺してなかった。残念。
なんでだろうねー。著者自装のカバーのデザインの理由についても話してた気がするんだけど。
それは森の緑×補色としての赤、でまとまったんだっけか。

あと一応好きな女の子聞いてみたんですが、

F・Y「ハツミ以外いにいるの?」
M  「いや緑だろ」

という、至極真っ当な結果になりました。直子とか選ぶ人いないですよね。ですよねー。

最後に各人の気に留まったところをさらっと。

Y 「棺桶みたいな列車」
下・p282 l2
描写の侘しさが印象に残った。村上が繰り返し伝えているのは有限と死の存在だと思ったので。

F 「鶏肉と性病と喋りすぎる床屋が嫌いだ」
下・p235 l8
言い回しが昔流行ったらしい。皮肉の表現の仕方が独特だよね。

M 「僕は死者と共に生きた」
下・p252 l5-
来た、と思ったところ。死についての印象的な考えが見て取れます。


こんなんでいいのかしら。書いてるうちに上手くなるでしょ。


次回7/14はこれも村上春樹の1Q84から引っ張ってきた萩原朔太郎『猫町』です。100ページほどの短編集なので、さらっと読めるでしょう。詩人の書く小説とはどのようなものなのか、気になるところです。短いから早く終わってしまうやも。

そのまた次は7/24、ファインマンの『ご冗談でしょう,ファインマンさん』ですね。
この人楽しそうです。期待しよう。

それではまた次回。お楽しみに。

第三回 バルザック 『ゴリオ爺さん』

開催日時:2010/06/30 1346~1545 場所:Moulin de la Galette
参加者:Y,M,F 
文責:F



指定図書の著者は,前回と打って変わって非常に読みやすい人間喜劇作家・バルザックです。分冊を嫌い,新潮版=平岡篤頼訳をチョイス。おそらくこれで良かったでしょう。はっきりと見える主題が多いため,敢えてそこを避ける進行となりました。

兎に角,今回の内容を。
――――――――――――――――――

分かっているとは言え,一先ず大論点を整理する事から始めましょう。

・如何に速く出世するか
・社交界のいびつさ
・愚直な父性愛

まあこんなところでしょうか。

面白いのは,大半がラスティニャックの話で占められているこの小説のタイトルが『ゴリオ爺さん』である事。解説によると,簡単な着想ノートにはゴリオ爺さんの事しか書かれていない。の割に,爺さん出番少なくないか?

なんでだろうね。わかんないね。結局この話題に戻らなかったのを今思い出した残念……
(更にノート見返したら俎上に乗りきらなかった話題が結構多い事に気付いた。2hじゃ足りない?)


今回の読書会で一番盛り上がったのは,『ヴォートランは何故ラスティニャックを気に入ったのか』という点。
その気に入り方がまるで肉親に対してかの様だったので,みんな不気味だとか不思議だとか思ったようで,一様に腑に落ちない感じでした。

予想しよう。親身になるというのは,同じ匂いを感じるから。ではないか。という事で,

ヴォートランは,
1.自分が無くした要素をラスティニャックの中に見た
2.自分と同じ要素をラスティニャックの中に見た
と,まずこの二つが出てきた。

前者における要素は『軸のなさ』と,それでも根強い『社会システムへの信奉』。
後者としては『成功への強い野心』,それに『才能』?

どちらをも包含できるものが解答になり得るので,結論としては,
3.自分と重ね合わせた
としてみました。
ラスティニャックに軸は無いが芯は有るのです。
兎に角,凄いものがある。それは読んでいてみんな思っていた。カリスマっていうのかね。


纏まるには纏まるけど,なんだか時間掛かってしまった。
うーん。
次は担当を変えてみようか。



次回7/10は予告通り,現代日本文学を牽引する村上春樹の『ノルウェイの森』です。上下巻。映画は今年の12月公開予定だそうです。その辺も意識しながら,エンタメ解剖的にも読めると楽しいですね。

更に次は7/14,確かファインマンの『ご冗談でしょう,ファインマンさん』だったかな。
こんな感じです。自伝良いよね。

それではまた次回をお楽しみに。

第二回 ポオ 『ユリイカ』

開催日時:2010/06/21 1639~1811 場所:Moulin de la Galette
参加者:Y,M,F 
文責:F



二冊目にして今後の指定図書の中で最も難解なのが来た,との共通認識が開催前から存在していた今回。しかし三人寄れば何とやら,案外『読めていた』のかもしれないと思わせる会となりました。

以下軽く整理しつつ。必ずしも会の次第には沿いません。
――――――――――――――――――

まず何で選んだの?と言う点。
責めるのでは決して無いけど,良くもまぁこんな難解な物を,という話。

Y「書き終えて死んでもいいと思えるような命題って一体何なんだ,と思って。」

一同納得。


ではポオは何故ユリイカを書いて死んだのか。

Y「宇宙について書いたのはフェイクで,これは遺書だ。」
F「最も大きな解のない問題を求めた結果,宇宙に行きついたのではないか。」
M「死期を悟ったからこれを書いたんじゃないか。」

会話の流れとしては,Fの説を選択して次へ。


何故こんなに難解なのか,考えてみようぜ。

自分が理解できてないから?ポオ自身よく分かってないから?普遍的に理解しがたい題材だから?

どれにも引っかかるのは取り敢えず先程のF説だった,という事でした。
F「大体科学と神を並列に扱っていくとさー,どうにも具合悪いよねー。」


ここでYが鋭い。
Y「ここに書かれてる神って,キリスト教的な神よりも更に高次の存在なんじゃないかな」

ポオの生きた時代は宗教が大きく揺らいだ時期だった。
しかし,その勢力は依然強力であった。

ポオはここで,不動にして究極なものを追い求めたのではないだろうか。
その存在を信じたい,認識したいと願っていたのではないだろうか。

全能を知れば,未来を知ることにもつながる。
分かりきった未来など,生きるまでも無い。

タイトルは『ユリイカ』,即ち「見つけた」という意味の古代ギリシア語の現在完了形。


結局最初に出しあった『なぜ書いたのか』に対する三者三様の答えは,どれも総意としての正解を構成していたのかもしれない。推論を進めていけば,そういう事になる。僕らの想定する正解が,ポオの意図に沿っているかは別にして,読書会の一つの可能性が見えた瞬間だった。


Yの興味関心は最大の論点となったので,他二人の気になった所をちらっと。

F
・本の最後
詩的表現の極致!なんだあれは。最初からこれ書けよ!

M
・p114~
『地球の収縮と共に生物が進化する』
発達過剰で滅亡という定番の原点?


かなりの程度作品解説に依存したが,これで良い作品だったと思われる。
折角なのでポオの主著『モルグ街の殺人』あたりは関連として置いておく。



次回は6/30,仏文豪バルザックの『ゴリオ爺さん』です。新潮版を指定しています。
更に次は翻り現代文学へ,村上春樹作・映画化予定の『ノルウェイの森』を急遽指定。こちらは7/10。

ちょっと入りやすくなるよね。ふふふ。
それではまた次回をお楽しみに。

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