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第十四回 坂口安吾 『堕落論』

 開催日時:2010/12/23 1350~???? 場所:Moulin de la Galette
参加者:Y,M,F,K
文責:M

最後の更新から一月以上経っていたということに驚愕しております。
その間何をやっていたかと言えば、第九回で述べられていたように、とある一人の作者を掘り下げて読み、その作者を紹介するといったことをしたり、『白鯨』がなかなか読み終わらず延期に次ぐ延期をしていました。
作者紹介の時にとっていたノートを見直してみると、○×ゲームをやったことくらいしかわかりませんでしたが、これは余談。

今回の題材は、坂口安吾の『堕落論』です。この本の選定理由は、僕の大学入学時に川上未映子らが選定した大学生の内に読んでおきたい50冊の本というのをセレクトしていたので、そこから題名だけ見て面白そうだと思ってチョイスした次第であります。

この坂口安吾ですが、Fは中学生の頃にもう手にとって読んでおり、このような文筆家になりたいと思ったとか。彼の自由な発想や行動はこの本に起因すると言っても過言でもないそうです。

さて、内容に入っていきましょう。
まずKは、「日本文化私観」のp70くらいに述べられている機能美が好きだそうです。不要なものが取り除かれ、必要なものが必要な場所に置かれている例として武器を取り上げていました。
この本で取り上げられてたものとして、小菅刑務所、ドライアイスの工場、軍艦を取り上げていましたが、ここでFは機能性だけでなく、大きいから美しいのであって、大きいものには無駄が省かれている、ということでした。

ここで、少し疑問に思ったのが、p68の聖路加病院との対比。聖路加病院に比べ、ドライアイスの工場はあまりに小さく、貧困な構えであったが、工場の緊密な質量感に比べれば、病院は子供の作った細工のようなものと書かれていること。健康の仮構がないのはわかるんですが。
あと、大きさにも郷愁を感じていたとしたら、文学における大きさって何だろう、ということを思ったりしました。

この後は、農学徒学生運動史と小林よしのりとの関連やら小林よしのりとKとの接点の話を間に挟みつつ、題名にもなっている「堕落論」について「堕ちる」とは何ぞや、という話へ。

「堕ちる」の反対は何か。
Yは現状から外れるということを、Kは救われるということを、Fはそんなものなく、堕落そのものが本質であり、堕ちるとは西洋から離れるということ日本に元々あったものに回帰するということでした。

そして、残念ながら僕は今回ここで所用のため退出。この後どんなことを話し合ったんでしょうか。

ここまでまとめてまた混乱し始めたので、Kに追記を託そうと思います。Kよろしく!



よろしくされました。Kです。更新は実に半年振りでしょうか…ホントスイマセン…
続きです。 え…メモに「おしゅうとめさん」とか「トルネコナツカシス」「メルトモテラホシス」とか書いてあって全く意味がわからないんですが…これも私が半年堕落した結果ですね。


さて。Yが続堕落論に言及して「この人人格を否定することは言わないよね」とのこと。そこから「安吾とは何なのか」論争開始。オプチミストなんだ、無理はしない性格、物事に対して「別にいいじゃん」といなす態度、等々が出た後…

F「俺はこいつから何を学んだんだ!?」

という発言。結論としては彼は勝手に生きて勝手に書いて材料を提供し、"あとは自分で考えろ"と言ってるんじゃないか。そんな話になりました。


んで話は書中で語られている文学論、というか芸術論へ。
現代の文学って、映画にしやすいけどそれっていいのかなあ?という問題提起。例えば「私は海を抱きしめていたい」とかを映画にできますか?なんてことを話しながら、果たして文学と映画は相互互換性のあるものなのかということについて頭を悩ませました。

例えば映画を例に挙げると、音楽と演劇とシナリオという文学とがかけ合わさってできた物で、(あくまでも数学的には!)高次になってしまう(高尚と言ってるんじゃありません)。というか、礎があってその上に積み重なってピラミッドになっていくイメージかな?
ここで大事なのが、上に行けば行くほど広大さ、言い換えると自由度が減っていってしまうということ。
次元が大きくなって自由度が減れば減るほど、縛り、呪いは増えていくばかり。さらには今あるものを組み合わせてネオ忠臣蔵とかエイリアンvsプレデターvs大石蔵ノ助とかは作れるかもしれないけど、礎である文学が尽きたときに何も作れなくなって「詰んで」しまう。であるから、"純粋な文学"は滅びては困る、そんな話をしました。ノートに残る図を見るに、そういうことなのでしょう(一応私個人の意見ではなく皆で話したことのまとめです)。

だから映画ばっかり見てないで文学のような礎となる芸術に親しみましょう、んで万朶会はそのきっかけとして非常に有用であるよね、というなんともすっきり自画自賛な感じでこの日は終わりました。うん。終わったはず。半年前だけど覚えてるもん。


万朶会ではこの手の芸術論というかその類が、まあみんな映画とか漫画とか好きやしよー出ます。面白い。すごく。

というわけで書を読もう!街には出ない!



これの次はしろいくじらさん!○ー○ェパードも真っ青!乞うご期待。

というか今更の更新でマジですいませんでしたああああああああああああああああ
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